皆さんが今この世で生きてる間にどうやったら「幸せ」になれるかというお話をさせていただきます。
「幸せ」というと皆さんどういうことを想像するでしょうか。
例えば、お金持ちになりたいとか、美味しいものが食べたい、豪邸に住みたい、いい車に乗りたい、というようなことを思う方もいらっしゃると思います。
それを何と言うかといえば、「幸せ」ではなく「快楽」といいます。
「快楽」というのは、自分が望むものを思ったように手に入れて贅沢をしたり、自分の欲望を満足させるということです。
それは本来の「幸せ」とは違うことです。
「幸せ」は何かと考えたとき、「幸せ」の正反対にあるものを考えてみます。
それは「苦しみ」ということです。
全く反対のものです。
仏教ですからこれはお釈迦様が教えられたことです。
お釈迦様が教えられたのは「苦しみからなるべく離れて、遠くにいることが幸せなんだ、苦しみのない生活が幸せな生活なんだ」という教えです。
お釈迦様は2,600年前の実在の人物です。
インドの北方、ネパールでお生まれになり、2,600年前に人間として修行されて、多くの人々の苦しみをどうやったら取り除くことができるかということを教えてくださったのがお釈迦様です。
お釈迦様が最初に教えてくれたのは、「諦めろ」ということです。
もう嫌になって止めるという「諦め」ではなく、ものごとを「明らかにしなさい」ということを教えてくださいました。
何を明らかにしなさいと説かれたのかというと、まず「四つのことを明らかにしましょう」と。
「四つのことを明らかにする」ということを「四諦」といいます。
この四つのことは何かというと
一つ目は「苦」です。
世の中、自分の周りには苦しいことがいっぱいあるんだと。それをまず明らかにしましょうと教えてくれました。
そして二つ目は「集」です。
何を集めるかというと、世の中には苦しいことがいっぱいあるけれど苦しみの原因は何か、その原因を集めましょうと。
三つ目は「滅」。
苦しみがあってその原因があったらどうやったらその苦しみをなくすことができるのか、滅することができるのか、それを明らかにしましょうということです。
四つ目が「道」。
それをどうやったら実践できるのか、ということです。
「苦集滅道(くじゅうめつどう)」、この四つのことが「四諦」ということです。
「苦しみ」の正反対に「幸せ」がありますので、まず苦しみを明らかにして、その原因を突き止め、なくす方法を知って、それを実践することができれば必ず幸せになれますよというお話です。
世の中には苦しいことがいっぱいあるのですが、お釈迦様がおっしゃるには「老若男女、世界中の人が四つの苦しみを感じます。それは誰彼なく差別なく、皆が感じる苦しみ」ということになります。
これを「四苦」といいます。
それは何かというと、最初の苦しみは「生」。
生まれる、生きる苦しみのことです。
この世にオギャーと生まれてくるときから苦しみを感じてお母さんも苦しみを感じて子供を産む、その生まれることそのものが苦しいことですよと。
二つ目は、生まれると一日一日、老いていく、若い頃できたのに歳をとると段々できなくなってくる、そのような老いる苦しみ「老」です。
それから、病になる苦しみ。
健康なときはあまり感じないけれど、病気になると大変苦しい思いをする「病」の苦しみ。
そして人間は必ず一回「死」ぬということです。
皆必ず死にます。いま死に向かって生きてますけれど、その死を考えると苦しくて苦しくて寝ることもできない、そんな苦しみもあります。
これが「四苦」というものです。
そして「四苦」は平等です。
お金持ちでもお金持ちでない人も、男性でも女性でも、若くても歳を取っていてもこの苦しみを感じるんだと。なぜ苦しいかというと、自分ではどうすることもできない運命だからです。それをこだわることでその苦しみを感じてしまう、それが「四苦」なのです。
その「四苦」にもう四つの苦を足すと「八苦」といいます。よく「四苦八苦」という言葉を聞くと思いますが、その「四苦八苦」の「八苦」です。
これがことわざで「四苦八苦する」という言葉の語源になったものです。
では、その足される四つの「苦」は何かというと、一つ目は「愛別離苦(あいべつりく)」といって、愛する人と別れて離れる苦しみです。生き別れも死に別れもそうですが、とても大切な人と会いたくても会えない、別れて離れなければならない、そういうときに苦しみを感じます。
二つ目は、「怨憎会苦(おんぞうえく)」といいます。恨み、憎い人と顔を合わせなければならない、そういうときに苦しみを人は感じます。さきほどの「愛別離苦」とは全く反対です。どんなに憎い人でも会社や学校、コミュニティの中で、嫌でも顔を合わせて共同で仕事をしなくてはいけない、そういうときに人は苦しみを感じます。
三つ目が「求不得苦(ぐふとっく)」です。求めるものを得ることができない苦しみです。さきほどの「快楽」は求めるもの、自分があれも欲しい、これも欲しい、ああなりたい、こうなりたいという快楽を求めると、今度はそれを得られないときにとても人は苦しみを感じます。
だからお釈迦様は最初から求めなければいいと教えてくださいました。
自分の欲望というのはキリがない大きな袋。その大きな袋は口が開いたままなのでいつまで経ってもそれは満たされない。
美味しいものを食べたらもっと美味しいものが欲しい、お金を少し稼げるようになったらもっと稼ぎたい、欲望の袋はどんどん広がっていきますから、求めても求めても得ることができない、満足できないのが苦しい。欲望は「快楽」なので、本来の「幸せ」とは違うのです。
求めるものを得ることができないときに人は苦しみを感じます。
四つ目は「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」です。心と体のバランスがバラバラになってしまう心の病気や、体の病気になってしまうそういうときに「五蘊盛苦」という苦しみを感じます。
世の中に苦しみがあるというのをわかったら、今度は苦しみの原因を考えましょう。
なぜ人は苦しみを感じるかというと「三毒」というものが心の中にはあって、その「三毒」がムクムクっと暴れだすと苦しみを感ずるというふうにお釈迦様が説いています。
この「三毒」は何なのかというと、
一つ目が「貪(とん)」と言います。貪欲のドンという字で、むさぼりの心です。
もっともっと欲しい、もっとこうなりたい、というそういう果てしない欲望のことを「貪」といいます。
二つ目の毒は「瞋(じん)」です。これは怒りの心です。
カーっとなって人に何か言ったり、本当のこと言われるとムカつくとか、カッなって喧嘩する、そういう怒りの心です。
三つ目の毒は「痴」です。この「痴」というのは愚かな心。
人をいじめたり差別する心、ステレオタイプで先入観で物事を判断してしまう、物事の本質を見ようとしない心です。
これら三つの毒は「貪瞋痴(とんじんち)」といって、誰の心の中にもあって、それが暴れ出すと苦しみの原因になるのです、と教えてくれました。
皆さんは「西遊記」という物語を知ってますか。テレビや映画にもなりました。
三蔵法師様が中国の苦しんでる人たちのために、インドに行ってお釈迦様の教えをいただいて、国に広めようと思い長い長い旅をして、そのときにお供した3匹の妖怪、それがこの三毒「貪瞋痴」にあたります。
物語の中に出てくる猪八戒は猪の妖怪で、孫悟空は猿の妖怪です。それから河童の妖怪が沙悟浄です。
ドラマに出てくる猪八戒はお酒が大好き、食べるものが大好き、とってもズボラで綺麗な女性がいたらついフラフラっとついて行ってしまう、そういう欲望のままに生きているのが猪八戒という妖怪で「貪」にあたります。
「瞋」は孫悟空。孫悟空は誰彼なしに喧嘩を吹っかけて、何かあればむかつき、すぐ喧嘩をしてしまう、暴力に訴えて問題を解決しようというそういう妖怪です。孫悟空の頭に金の輪っかがついていて、三蔵法師様が呪文を唱えるとギュッとその輪っかが縮まって怒りを抑える、そういうシーンがいくつもあったと思います。
愚かな妖怪は河童をモチーフにしてますが、人の聞いた話を鵜呑みにしてそれが真実かどうかも確認することもなく、先入観や人の噂話で、人を裏切ったり、猜疑心を持ったり、人をいじめたり差別したりする。そういう愚かな心「痴」が河童の沙悟浄です。
その「貪瞋痴」は誰の心の中にも必ずあって、その三毒が苦しみを作り出す原因なのだということです。
先程お話しした「求不得苦(ぐふとっく)」ですが、もっともっとという欲張りな心があるから、それを得られないときに人は苦しみを感じる。
別に幸せにならなくていい、と言う人がいるかもしれませんが、人間は苦しみから逃れたいと常に本能では思っています。
例えば、熱々のヤカンに手を触れたとき、熱い!とすぐ手を離すのと同じように、苦しみからは本能的に離れたいと思っているのです。
苦しみの原因が「貪瞋痴(とんじんち)」という三つの心です。
欲張りな心、怒りの心、愚かな心、この三つの心があるから苦しみを感じています。
では、それをなくせばいいということになります。
なくすにはどうしたらいいかということをお釈迦様は具体的に教えてくださっています。
それは、たった10個のことを実践すれば、苦しみの原因から解き放たれますと。
「貪瞋痴」の三毒が暴れ出すと人は10個の悪いことをします。
それを「十悪」と言います。
10個の悪いことをついつい意識しようがしまいが、人は犯してしまいます。
そしてその10個の悪いことをしないようにしましょうということです。
そのために「十善戒」という教えがあります。
「戎」というのは戒めですので、仏様と自分との約束事です。何を約束するかというと、十の良き約束をしましょうということです。
それは先程のこの十の悪いことをしないように仏様に誓います、ということ。
菩提寺に行くと檀信徒のお勤めという本がありますが、その中にも「十善戒」としてお経の中に出てきます。
仏様と約束事をすることで苦しみをなくすことができますというお釈迦様の教えです。
一つ目は「不殺生(ふせっしょう)」です。
「不」というのは「しない」という意味です。
だから殺生をしない。人殺しをしたり、動物を虐待するというのは当然悪いことです。これは日本の法律ができたからではなく、お釈迦様が2,600年前に人が苦しむ原因は何かと思い、それをなくす方法として教えてくれました。
生き物の命を大切にするということ。私達は生き物の命をいただいて日々生活をしております。ご飯を食べるときに「いただきます」というのは、ありとあらゆる生き物の命をいただくんだ、いただいて生きさせていただいてるんだという感謝の気持ちを込めて手を合わせて「いただきます」としています。
人間が口の中に入れるもので、命のないものというのは、水と塩だけです。あと一部の薬とかもそうですけれども、水と塩には命がない。しかし、それ以外のもの野菜も含めて、植物動物、牛や豚、鶏や魚、いろいろな命をいただいていますから殺生をしないで生きられるわけはありません。
お釈迦様の教えは、ありとあらゆる命を大切にして、感謝しながらいただきましょう、それが「不殺生」戒ということになります。
今日一日自分の命を永らえるために美味しいごちそうを調理してくださった方やいろんな方に感謝しながらいただきましょうということ、それが「不殺生」です。
二つ目は「不偸盗(ふちゅうとう)」です。
「偸」も「盗」も盗むという字です。
人のものを盗んではいけませんということです。これも法律で決まってるからではなく、人が苦しみから離れるため幸せになるためには、人のものは盗まない。大金を人から奪ってきても、今度はそれをまた誰かに奪われるんじゃないかというそういう苦しみからは、いつまでたっても離れることができない。
人の物を盗んでも幸せになれません、というのが二つ目の「不偸盗」です。
三つ目は「不邪淫(ふじゃいん)」です。
邪(よこしま)で淫(みだ)らなことをしないということです。
主に男女の仲のことですが、自分が大切に思う人を裏切ったり、浮気をしたり不倫をしても絶対に幸せにはなりません。
一時の快楽は得られるかもしれませんけが、それは幸せではなく、本当の幸せというものは大切な人をしっかりと尊重して大切にするということが大事です。
これが三つ目の「不邪淫」です。
この三つは、行動でやる悪いことをしないようにしましょうということです。
次の四つは言葉で行う悪いことです。
まず一つ目「不妄語(ふもうご)」です。
「妄」は惑わすという意味ですので、人を惑わさず、人に嘘をつかないということです。一つ嘘をつくと二つも三つもずっとたくさん嘘つかなくてはいけないから人に嘘はつかない、「不妄語」です。
二つ目が「不綺語(ふきご)」です。
これは飾った言葉、人に気に入られようと思ってお世辞を言ったり、自分の自慢話をしてしまう、そういうことはしてはいけませんというのが二つ目「不綺語」です。
三つ目は「不悪口(ふあっく)」。
文字通りです。悪口を言わない人の悪口を言ってはいけないということです。
四つ目は「不両舌(ふりょうぜつ)」。
二枚舌のことです。二枚舌を使ってこっちの人には調子のいいこと言って、こっちではあんなことを言ったり、それは二枚舌というからしてはいけませんと。
以上の四つが言葉で行う悪いことで、これをしてはいけないということです。
最後の三つは心についてです。
心で行ってはいけないこと、
まずは「不慳貪(ふけんどん)」です。
慳貪しない、「慳」も「貪」どちらも欲張りということ。先程の「三毒」そのものを戒めることです。欲張らないです。
次は「不瞋恚(ふしんに)」。
怒らない、カッとなって喧嘩をしないということです。
最後が「不邪見(ふじゃけん)」です。
邪な見方をしないで、何が真実かをしっかりと勉強して、人に聞いて本を読んで、お釈迦様の教えをしっかりと学んで邪な見方をせず、人をいじめたり差別したり、愚かな心を持たない、これが「不邪見」です。
今お話したこの「十善戒」を実践すれば、これが「苦」の原因をなくすことになります。
では、あとはそれをどう実践するか、「道」です。
お釈迦様の教えてくれたことをよく理解できたら、それを実際に明日の生活の中でそれを実践するか、それが皆さんが幸せになれるかどうかの境目なのです。
お釈迦様が教えてくださった十善戒、
「不殺生(ふせっしょう)」
「不偸盗(ふちゅうとう)」
「不邪淫(ふじゃいん)」
「不妄語(ふもうご)」
「不綺語(ふきご)」
「不悪口(ふあっく)」
「不両舌(ふりょうぜつ)」
「不慳貪(ふけんどん)」
「不瞋恚(ふしんに)」
「不邪見(ふじゃけん)」
これらを自分の生活を点検しながら、どうやったら幸せで、苦しみから離れることができるのかということを、日々精進しながら生活をしていただきたいと思います。